第31回・思い出のカードとか
2005年6月6日 mtg雑記●先週の金曜日
例によってアメニティへ。神河救済を1ボックスゲットした後、FNM。デッキはいつものデスクラウド。
1回戦:黒単コントロール ××
2回戦:青黒パーミッション ○○
3回戦:緑コン ××
1−2。今回はプレイングがぬるい上に引きもついて来なかった。
今回の超BAD PLAY。
2回戦の青黒パーミ相手に、序盤で《防御の光網》が通った。
僕(よし、これで相手はほぼカウンター不可。手札にフィニッシャーもあるし、これで一気に決着だ!)「5マナで、《腐食ナメクジ》」
相手「………はい」
そして次の自分のターン。
僕「アンタップ、アップキープ…あっ」
orz
多分、対戦相手の「………」は、あまりに予想外の出来事に絶句していたに違いない。結果的に勝ったけど、逆に申し訳ない気持ちに。
一応、ランダム賞でブースターを1パックもらいました。
で、終了後ドラフト。《兜蛾》スタートで白を取り始め、《肉体の奪取》で黒を狙うが全然黒が流れてこない。つーか、白もイマイチ。
なんだ? 上は何をやってるんだ?
そう感じながら、途中から黒を切って青にシフト。結果出来たのは白青タッチ黒(《肉体の奪取》《引き込み》)のビートダウンデッキ。なんとも中途半端な出来。それもそのはず、上と白が被り、下と青が被っていた。最近こんなんばっかりや。
で、こっちも負け−負け−勝ちの1−2で7位。
ダメダメでした。
●じらいげん
先日、「Team 地雷原」さんのサイトで宣伝されてるMTG同人誌「じらいげん」をvol.1,2同時購入。昔「WIZZ」というMTG同人誌があったが、こういうの大好きなので知った途端喜び勇んで購入。
面白かったです。>ライター様各位
どこにでもありそうな単純な戦術記事やデッキ集などとは一味もふた味も違う内容の読み物は読み応えがあって楽しい。次号以降も楽しみな一冊。
…なんだか懐かしくなって、以前「Peak Magic」に投稿した自分のコラムを読み返す。
………勢いしかないな。
●思い出のカード(その1)
ダイアリーノートで思い出のカード10というのが流行っているそうなので(もう下火?)、自分も今更便乗してやってみる事に。
ただ、単純に一言コメント共にカード名を挙げるのではなく、一つ一つ、なぜ思い出があるのかなどをツラツラ書いてみたいと思う。あくまで『読み物』の一つとしたいので。
…「じらいげん」に影響されたわけではないんですよ?
というわけで第1回。やはり自分としては《アーナム・ジン》を挙げたい。
----------
《アーナム・ジン/Erhnam Djinn》
3緑
クリーチャー−ジン(Djinn) (4/5)
あなたのアップキープの開始時に、対戦相手1人がコントロールする壁ではないクリーチャー1体を対象とする。それはあなたの次のアップキープまで、森渡りを得る。
----------
今の人たちにとっては、『ジャッジメント』にいた弱いレアカードという認識だろうが、自分にとっては『クロニクル』に存在した強力クリーチャー。
これが強いという事を知ったのは、昔あった雑誌「デュエリスト・ジャパン」の前身「ウェルカム・トゥ・ドミニア」にて紹介された中村聡氏の、1996年の日本代表決定戦で使用された赤緑ステロイドにて。
それまで僕はこのカードは持ってはいたが、カードの効果が分からず見向きもしていなかった。しかしこの記事を読んで強いらしい、という事を知り、早速中村氏のデッキに似せた(カードが足りなかったので)赤緑デッキを作ってみた。
その強さに目を丸くした。
《ラノワールのエルフ》から3ターン目に呼び出される4/5。その速さに対抗できるクリーチャーなど存在せず、除去できるカードも限られていた。当時カジュアルプレイしかしていなかった自分とその友人達。その中でもこのデッキは非常に高い勝率を誇った。
この時から、いわゆる「トーナメントデッキ」の強さを知り、自分の赤緑はそれまでのカジュアルデッキから半歩ばかり先に進む事となったのだった。
《アーナム・ジン》とは長い付き合いだったが、第4版が第5版に入れ替わるのと同時に、《アーナム・ジン》はトーナメントシーンから姿を消した。それからというもの、自分も含めた緑使いは長い間、《アーナム・ジン》の後継者を探す事になる…
そんなこんなで、《アーナム・ジン》は自分の中では非常に思い出深い一枚となった。
今見れば弱いクリーチャーだが、当時の自分にとっては確かに最強のクリーチャーだったのである。
例によってアメニティへ。神河救済を1ボックスゲットした後、FNM。デッキはいつものデスクラウド。
1回戦:黒単コントロール ××
2回戦:青黒パーミッション ○○
3回戦:緑コン ××
1−2。今回はプレイングがぬるい上に引きもついて来なかった。
今回の超BAD PLAY。
2回戦の青黒パーミ相手に、序盤で《防御の光網》が通った。
僕(よし、これで相手はほぼカウンター不可。手札にフィニッシャーもあるし、これで一気に決着だ!)「5マナで、《腐食ナメクジ》」
相手「………はい」
そして次の自分のターン。
僕「アンタップ、アップキープ…あっ」
orz
多分、対戦相手の「………」は、あまりに予想外の出来事に絶句していたに違いない。結果的に勝ったけど、逆に申し訳ない気持ちに。
一応、ランダム賞でブースターを1パックもらいました。
で、終了後ドラフト。《兜蛾》スタートで白を取り始め、《肉体の奪取》で黒を狙うが全然黒が流れてこない。つーか、白もイマイチ。
なんだ? 上は何をやってるんだ?
そう感じながら、途中から黒を切って青にシフト。結果出来たのは白青タッチ黒(《肉体の奪取》《引き込み》)のビートダウンデッキ。なんとも中途半端な出来。それもそのはず、上と白が被り、下と青が被っていた。最近こんなんばっかりや。
で、こっちも負け−負け−勝ちの1−2で7位。
ダメダメでした。
●じらいげん
先日、「Team 地雷原」さんのサイトで宣伝されてるMTG同人誌「じらいげん」をvol.1,2同時購入。昔「WIZZ」というMTG同人誌があったが、こういうの大好きなので知った途端喜び勇んで購入。
面白かったです。>ライター様各位
どこにでもありそうな単純な戦術記事やデッキ集などとは一味もふた味も違う内容の読み物は読み応えがあって楽しい。次号以降も楽しみな一冊。
…なんだか懐かしくなって、以前「Peak Magic」に投稿した自分のコラムを読み返す。
………勢いしかないな。
●思い出のカード(その1)
ダイアリーノートで思い出のカード10というのが流行っているそうなので(もう下火?)、自分も今更便乗してやってみる事に。
ただ、単純に一言コメント共にカード名を挙げるのではなく、一つ一つ、なぜ思い出があるのかなどをツラツラ書いてみたいと思う。あくまで『読み物』の一つとしたいので。
…「じらいげん」に影響されたわけではないんですよ?
というわけで第1回。やはり自分としては《アーナム・ジン》を挙げたい。
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《アーナム・ジン/Erhnam Djinn》
3緑
クリーチャー−ジン(Djinn) (4/5)
あなたのアップキープの開始時に、対戦相手1人がコントロールする壁ではないクリーチャー1体を対象とする。それはあなたの次のアップキープまで、森渡りを得る。
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今の人たちにとっては、『ジャッジメント』にいた弱いレアカードという認識だろうが、自分にとっては『クロニクル』に存在した強力クリーチャー。
これが強いという事を知ったのは、昔あった雑誌「デュエリスト・ジャパン」の前身「ウェルカム・トゥ・ドミニア」にて紹介された中村聡氏の、1996年の日本代表決定戦で使用された赤緑ステロイドにて。
それまで僕はこのカードは持ってはいたが、カードの効果が分からず見向きもしていなかった。しかしこの記事を読んで強いらしい、という事を知り、早速中村氏のデッキに似せた(カードが足りなかったので)赤緑デッキを作ってみた。
その強さに目を丸くした。
《ラノワールのエルフ》から3ターン目に呼び出される4/5。その速さに対抗できるクリーチャーなど存在せず、除去できるカードも限られていた。当時カジュアルプレイしかしていなかった自分とその友人達。その中でもこのデッキは非常に高い勝率を誇った。
この時から、いわゆる「トーナメントデッキ」の強さを知り、自分の赤緑はそれまでのカジュアルデッキから半歩ばかり先に進む事となったのだった。
《アーナム・ジン》とは長い付き合いだったが、第4版が第5版に入れ替わるのと同時に、《アーナム・ジン》はトーナメントシーンから姿を消した。それからというもの、自分も含めた緑使いは長い間、《アーナム・ジン》の後継者を探す事になる…
そんなこんなで、《アーナム・ジン》は自分の中では非常に思い出深い一枚となった。
今見れば弱いクリーチャーだが、当時の自分にとっては確かに最強のクリーチャーだったのである。
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